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東尋坊

あわら温泉を訪れた時には、東尋坊も訪れたいものです。東尋坊と聞くと、火曜サスペンス劇場などのサスペンスドラマで断崖絶壁を思い浮かべるかもしれませんが、日本海らしい風景が広がっています。
東尋坊は、福井県坂井市三国町安島に位置する崖です。そして越前加賀海岸国定公園に属しています。海食によって海岸の岩肌が削られていて、高さ約25メートルの岩壁が続いています。
この岩は輝石安山岩の柱状節理でこれほどの規模を持つものは、世界でみてもわずか三ヵ所だけです。そして地質上極めて貴重とされていて、国の天然記念物と名勝に指定されています。
名湯を訪ねて
東尋坊の言い伝え
東尋坊という名前の由来には、伝説があります。
勝山市の平泉寺のお坊さんに東尋坊という名前のお坊さんがいました。勝山の平泉寺は織田信長によって焼き討ちあうお寺ですが、焼き討ちにあうよりももっとずっとずっと前の言い伝えです。
東尋坊は困ったお坊さんでした。とても腕力が強いお坊さんで、自分の力が強いことをいいことに、やりたい放題の悪さばかりをしていました。平泉寺には数千人ものお坊さんがいましたが、東尋坊は暴れだすと、大勢のお坊さんがいくら押さえつけようとしても手が付けらない状態でした。
そして東尋坊は、どんな時でも諍いばかりで悪びれる様子もありません。そんな東尋坊に平泉寺のお坊さんたちはほとほと困り果てていました。そしてお坊さんたちの中で、なんとか東尋坊を追い出してしまおうとの相談が持ち上がっていたのでした。その追い出す役を引き受けたのが、東尋坊の恋敵だったと言われている真柄覚念(まがらかくねん)というお坊さんです。この覚念というお坊さんもなかなかの悪いお坊さんだったようですが・・
そして、1182年4月5日言葉巧みに東尋坊を誘いみんなで海へ見物に出かけました。その日は天候も良く気持ちの良い日でした。お坊さん高い岸壁から海を見渡せる場所へ到着して、みんなで岩の上で酒盛りが始まりました。眺めの良い景色もあって、みんなどんどんお酒を飲みます。中には踊りだすお坊さんもいたとか。そんな楽しい酒の場ということもあって、東尋坊も他のお坊さんと同じようにどんどんお酒を重ねていきます。そしてすっかり酔いつぶれてしまった東尋坊は横たわってうとうと眠りに落ちていきました。
うたた寝をした東尋坊を見て、覚念は今だ!とばかりに東尋坊を海に突き落としました。東尋坊は崖から落とされた時に初めてこの海見物が仕組まれたことだと分かったのであります。東尋坊は近くにいた別のお坊さんや子どもも巻き添えにしながら崖から落ちていきました。
死に際に際して何人かを道連れにはしましたが、東尋坊の恨みは晴れません。東尋坊が断崖から海に落ちるやいなや、今までサンサンと太陽が輝いていた空にあっという間に黒い雲が立ち込めて真っ青だった青空を黒く染めました。そして雷が鳴り響き激しい雨が降り注ぎます。大地は激しくうちたたくかのように震えだしました。ガタガタと鳴り響く大地が、ついに東尋坊を海へ突き落した覚念も絶壁の端へと追いやり東尋坊の怨念が通じるかのごとく覚念も海へ落ちていきました。
東尋坊が海へ落とされた4月5日の前後には、東尋坊の怨念があるかのように毎年海が荒れ果てます。激しい風が吹き、海には渦を巻き、海水は濁って荒波がたちます。そして雷と激しい雨は西から起こります。そして東尋坊が怨念をかけているかのように、東へ東へと向かいそれは平泉寺へと向かうのでした。
そしてこの4月5日前後に荒れ狂う天気をみて、人びとは「東尋坊の恨みに違いないと」ささやきあい、いつしかこの断崖を東尋坊と呼ぶようになりました。
三国に住む漁師たちは、4月5日前後に漁に出ることができません。海が荒れてしまうので、沖に船を出すことができないばかりではなく、毎年毎年続く東尋坊の祟りを恐ろしく思っていて、ある日、福井東光寺の長老瑞雲にこのことを申し出ることにしました。
漁師たちから東尋坊の祟りの話を聞いた瑞雲は、さっそくこの断崖にのぞんで詩を作りました。
「好図見性到心清  迷則平泉不太平  北海漫々風浪静  東尋何敢碍舟行」そしてこの詩を波に沈めると、東尋坊が落とされてから毎年毎年必ず続いていた豪雨や雷が見事にやんで、この日をさかいにしてなくなったというのです。東尋坊の祟りが収まったのでしょう。
また別の説には、別のお坊さんが「しつむ身のうき名をかへよ法の道 西をたつねて浮へ後の世」と、この地で一首読んで海に沈めて、東尋坊の祟りは収まったとも言われています。
東尋坊の地層
東尋坊は、今から約1,200~1,300万年前の新生代第三紀中新世に起こった火山活動で、マグマが堆積岩層中に貫入して冷え固まってできた火山岩が、日本海の波によって侵食を受けて地上に現れたものとされています。
東尋坊の火山岩は白色の斜長石の斑晶や暗緑色の普通輝石・紫蘇輝石の斑晶を含む安山岩で、マグマが冷えて固まるときにできた五~六角形の柱状の割れ目(柱状節理)がよく発達しています。
この柱状節理の規模の大きさが地質学的に極めて貴重であるとされて、昭和10年(1935年)に国の天然記念物・名勝に指定されました。また、平成19年(2007年)には日本の地質百選に選定されています。
東尋坊エピソード
NPO心に響く文集・編集局
自殺志願者の支援活動団体で2004年(平成16年)に発足しました。この支援活動団体の理事長は元警察官の茂幸雄です。各種周辺パトロールによって遭難者や自殺志願者の保護をしたり、保護した後の福祉面・金銭面での生活支援を行っています。また理事長はおろしもち屋を経営していて自殺志願者におろしもちを振る舞うと同時に、自殺をやめるよう説得をしています。
中には、地元議員から、自殺者が減れば“自殺の名所”としての東尋坊の集客力が落ちかねないという批判も受けています。
救いの電話
東尋坊は著名人の自殺等などもあって自殺の名所としても全国的に有名ですが、地元では各所に自殺を思いとどまらせるための句碑や看板を設置して自殺を防ぐ努力をしています。そして公衆電話にテレホンカードや10円硬貨を常備して、誰かに相談ができるようになっている「救いの電話」を設置していて、自殺を思いとどまらせるようにしています。
ドリャーおじさん
かつて、飛び降りても簡単に死なない(死ねない)ことをアピールするために、あえて東尋坊の崖から飛び込みを実演する人もいました。一部の人達からは「ドリャーおじさん」という愛称で呼ばれていて、通算2万回以上飛び降りては断崖絶壁をはい上がるという行為を繰り返していました。
もちろん大けがも数回しているようで、ドリャーおじさんが飛び込むのは「男のロマン」だと話をしているようです。そしてドリャーおじさん、自殺をしようか?と考えている人は見たら分かるようで、ボーッと自殺しようかと考えている人の横を走って『ドリャー!』と飛び込むそうです。しかもビキニ姿で。そのおじさんを見て、数回自殺することをとどまった人も実際にいるそうです。
恋愛の舞台
東尋坊と真柄覚念が女性を巡っての恋敵同士でもあったという伝説があるので、それを前面に押し出す形で、「悲恋の舞台」としてのアピールを行っていて、自殺の名所としてのイメージを払拭する試みも行われています。

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